

どうしてこんなにノイズだらけになってしまったのだろうか。
FAXもMacintoshもない頃のデザイン事務所は、
ニンゲンの声以外はさほどうるさくなかったはずだ。
それが今や高周波ノイズの海に沈んでいるようだ。
こんな環境が人間にとってよいものとは,決して思えない−。
傍若無人な音の暴力
ある会社の座談会に招かれて,京都まで出張に出かけたときのことである。
その日の新大阪行きの新幹線はほぼ満席で,私が座った禁煙席もビジネスマンがあちこちで書類を広げたり,仕事の打ち合わせをしていた。
そのこと自体は何も珍しいことではないし,旅行シーズンでもないウイークデイの朝の『ひかり』ともなれば,むしろ当然のシチュエーションといっていい。が,東京駅を出発してからの,あの『音』は許し難いものがあった。
私は書き残した原稿を仕上げるために,Duo 2300(*1)を車内に持ち込んで仕事をしていた。Duoはこんなときには最適のマシンで,タイピング音が静かなことが気に入っている。そっと静かにキーを叩けば,隣の人に迷惑をかけるような『カシャカシャ』という音はさせずに済むからだ。列車というものはあくまで公共の空間であり,自分の都合で他人を不愉快にさせることは,基本的に許容されるべき行為ではない。
ところが,まだ新横浜にも到着しないうちに,車内のあちこちで極めて不愉快な音が鳴り響き始めた。あの「携帯電話」というヤツである。
新幹線の車内では,携帯電話の使用は控えるようにアナウンスされており,使う場合はデッキに出るのがマナーだ。電話がプルプルと鳴ってから電話をとり,話しながら慌ててデッキにかけ込む姿は誉められたものではないし,隣の席でこれをやられた日にはたまったものではない。それほど重要な電話を待っているなら振動で体に知らせるなり,外部ジャックのイヤホン経由で聞くべきである。
この携帯電話のベル音というのも,『ああ,きれいでいい音の呼び出し音だなあ』というものは,ついぞ耳にしたことがない。安っぽい電子音は,携帯電話のデザインと同じくらいコドモっぽいテイストだ(*2)。
私だって携帯電話をカバンの中に入れているし,その使用を否定などしないが,その使い方のセンスにはかなり問題があると言わざるを得ない。
ノイズ協奏曲?
のっけからこんな話になってしまったが,これは電話だけに限った話ではなく,Macintoshを含めたコンピュータも,他人への迷惑度という点では五十歩百歩ではないだろうか
たとえばハードディスクの回転音,冷却ファンの連続音,カシャカシャと耳につくキーボードの音,メール到着のアラート,プリンタエンジンの排出音…
騒音レベルの測定をしたわけではないが,10年前と比べてオフィスの騒音レベルは確実に何dBか上がっているはずだ。
こんな話を耳にした。5年ほど季刊誌の仕事でおつき合いしている編集者が新雑誌のために出向することになり,その送別パーティに出席したのだが,この季刊誌を発行している会社の広報担当の女性がこんなことを話してくれた。
「本社のある四国から東京に出てくるとネ,電波の音がするのよ。そう思いませんか。」
「え?音…ですか。」と首をひねって尋ねると,
「ええ,なんとなくキーンという音がするの。なんだか体じゅうに電波が刺さってくるみたいな(*3)。菊池さんは何も感じません?」
そう尋ねられても実際に聞いたことはないので,はいとはいいようがない。
「いや,僕は耳はいいほうですけど,そんな音は聞いたことがないなあ」
と答えて,そのうち他の話題に移っていった。
パーティを後にしてよくよく考えてみると,そういえば私にも思い当たる節はある。仕事場では9台のMacintoshと4台のプリンタ,それに2台のファクシミリと,数台のコードレス電話があるのだが,この環境の中で深夜まで仕事をしていると,いいようのない「デンキのプレッシャー」が耳について耐えられなくなることがある。これは仕事場を出て自宅に帰ると,ぴたっと症状が収まる。これはストレスのせいかと思っていたのだが,やはり『電波の音』の影響なのだろうか。
これらの要素に加えて,Macintoshやプリンタから発するノイズが輪をかけ,さらにアプリケーション使用中のアラート音が鳴りだすと,ストレスレベルはさらに高くなる。
オフィスや家庭に『ひとりに一台(もしくはそれ以上)のコンピュータ』という光景が,もしも完全に実現したとしたら,わたしたちの生活環境は電子ノイズと電磁波の洪水に見舞われないだろうか。そしてその時、人間や自然環境に与える深刻な悪影響がないと言いきれるのだろうか(*4)。
聴覚のインタフェースを改善すべき時
アラート音が嫌ならばコントロールパネルでサウンドをOFFにすればいいだけのことだが,携帯電話やコードレス電話の電波,ハードディスクのファンノイズはどうしても完全に消すことはできない。
Appleの製品は比較的静音設計らしいが,できることならばもっと徹底した,「ノイズ無音設計」ともいうべきMacintoshがあってもいい。
呼び出し音も美しい携帯電話を,次世代のPower BookやNewtonとセットで開発する(もちろんレストランや列車の車内では音をOFFにして,振動で呼び出せるようにして)とか,静かな寝室や書斎に置いても,ノイズがまったく気にならないデスクトップマシンの開発をお願いしたいものだ(*5)。
もっとも,その前に人体に有害かもしれない電波を減らすほうが先のような気もするが。
(MacUser1996年9月号に掲載)
(*1) Duo280を2300にロジックボードアップグレードをしたのだが,このときのトラブルにはまいった。漢字Talk7.5.2の問題なのか,私のシステム環境の問題かわからないが,1カ月以上を経過した今も安定は悪い。スピーカーからは原因不明の不快なノイズが多発するし,バランスを崩したマシンになってしまったのは残念だ
(*2) 環境にある音にたいして,日本人が無頓着なのかもしれない。そうでなければ右翼の街宣車の騒音を力づくでも止めているだろう
(*3) この比喩には感動した。自然環境に恵まれた土地で暮らす人たちならではの感性だ
(*4) 放射能や大気汚染といった,あきらかに人体に有害なことが医学的に証明されていることに比べて,電波や電磁波にたいしての警戒感は驚くほど薄い
(*5) 喧噪のかたまりのような場所から仕事を終えて抜け出し,やっと帰りついた家の中では静寂がほしい。引退して廃棄処分になったNTX-Jを自宅に持ち帰ろうと思っていたが,ちょっと考え直している。週に数枚程度ならFAXをプリンタ代わりにすれば済むことである
●この原稿について(本人からのコメント)●
はっきり言わせてもらうが,最近のタワー型PCIマックの電源品質は最低である。仮にも9500はAppleのフラッグシップであるはずなのに,匡体の共振対策とかファンの音質も誉められたものではない。たぶん新しいタワー型では改善されるだろうが,今までこんな劣悪なボディをハイエンドマシンに与えていたほうが不思議である。Quadra950の堅牢さが懐かしい。
(1997/2/2)
連載のINDEXに戻る ←前のコラムを読む|次のコラムを読む→